歴史のターニングポイント

ときどきラジオで識者みたいな人が言うんですよね。
「あーあれが、歴史の転換点だったんだ。と後で思うんですよ。」


日本って今、本当にそんなところを歩いているような気がします。

ここで進むのか、また我慢して、あとで大きなツケを払うことになるのか。
進まなきゃよかったのに進んでしまうのか。

後にならなければわからないこと。

でも、なんとなく予感はしますよね。

「北朝鮮は虎の尾を踏んだ。」

それは先月9月3日の「水爆実験」。

自分たちは今まで通り、原爆実験、弾道ミサイル実験、ちょっと挑発してグアムに打つとか言って、安全パイを狙って日本上空を飛ばすとか。

でも水爆実験は実は訳が違ったのではないかと思うんです。
なぜかというと今言われている中では水爆は常任理事国しか保有していないからです。
ここまで北朝鮮が手を伸ばすとなると、アメリカはいわずもがな、中国もロシアもだまってはいないのではないか?
そう思うんですね。

だから今、「中朝国境に居る韓国人の退去」を中国が警告しています。
北朝鮮内には「中国が攻めてくる」というウワサが広がっているとか。

安倍さんが衆議院選挙を急いだ理由もここにあるように思います。

「水爆実験」

北朝鮮はやりすぎた。
ここからは今までとフェーズが違う話になりそうです。

その時我が国、日本はどうするんでしょうか?
蕎麦のメニューでまだ喧々諤々のあほらしい話をするんでしょうか。
そうだとしたらそれはもう亡国の歩みとしか思えません。

これはまさに日本にとってもターニングポイントです。

神社で大砲の弾って普通だとおもってた件

先日、大分県のお寺や神社で砲弾が発見されたとニュースに出て驚かれていた。

ん?それ、普通ちゃうん?

だれ?それわざわざ通報したの?

と、個人的に思いましたとさ。

そうです。神社の入口などには台座にしっかり固定されて奉納されてる砲弾がよく見られます。確かに初めて見た時は「え?砲弾?」と思いましたが、よくよく年代などを見ると日露戦争の頃。

実はこれに関連することで気にかかっていることが一つあります。
それはKBC福岡放送でやっていた、ある南九州の地区の山には「せかいいち」とひらがなで植林か伐採かで山腹におおきく書かれていた、という視聴者からの依頼調査の件。

あー、その地名を忘れてしまって、本当に残念なのだけれど、その意味は本当にロシアに勝って「日本が世界一」ということを実は日本の津々浦々で湧き上がるように喜んでいたことを示していました。

その番組を見た時、自分がその時代に還って、日露戦争がまさに一部の軍人の話ではないということを肌で感じた気がしました。目からうろこと言いますか。全然、暗い雰囲気はないんですよ、戦争に対して。

村の鎮守に戦勝報告に奉納して、きっと村中でお酒でも飲んで「日本が世界一だぞ~!」と酔いちくれている姿が思い浮かびました。

そのうえで、実はこの勝利が世界に与えたインパクトはやっぱり大きかったんだろうなぁ、と想像しました。

そんな戦勝気分がその後の敗戦に繋がったのかも知れません。
でも、日本人はギリギリまで結構楽観的で苦しくてもその日の楽しみを見つけていたんじゃないのかなぁとも思うのです。

そんな日本人に原爆ドームだとかパールハーバーだとか、負の遺産や負の思想ばかりを押しつけられるより、もう次は負けないという気持ちを起こさせるこの「奉納品」は貴重な勝利の記憶じゃないのかと思うわけです。

たぶん触る人もいないくらい、ただそこにある砲弾は、ひっそりとでもそこにあることが見えざる日本の覚悟として大切なんじゃないかと思いました。

だからですね、「だれよ?今頃通報した人(怒)」

(一個人の見解です。)小さい文字

洗濯機が高いんだよ!

時々、じーっと電気屋(家電量販店)の広告を見るんですよね。

何か買うってわけじゃないんですけど。

欲しいものがないわけじゃないんですけど、生活必需品じゃないので見るだけショッピング(笑)

でもですね、最近うちの洗濯機、大丈夫かなぁ。
いや、何か変とかいうわけじゃないんです。
でもそこそこ古いので、いつかはこれは買い替えるときがくるだろうなぁと。

そういう目で見ると洗濯機が高いんですよ!
うちのなんてそんなに機能ないです。ショートコース、普通、手洗い、大物洗い。あとは水の加減とか。

あと、何が要ります??
電気屋(しつこいようですが家電量販店)に直接行くと「なんじゃこりゃ?」というほどのボタンの数ですよ。

アホですか?ガラパゴスにもほどがある。。
こんなにボタンあったら飛行機操縦できそうですよ。(あくまで比喩です。)そうして値段10万~30万くらい。

確かに乾燥(簡易乾燥)ができるものが多いですが、ないものも高い!このままだと買い替えの時はハイ○ールとかダエ○ーとか、ともすれば出火騒ぎになるようなものしか買えなくなってしまう・・・・・il||li ○| ̄|_

私はふつーに壊れなくて、洗っても布がちぎれるみたいじゃない信頼性があるものが欲しいんですよ、日本製で!!
付加価値をつけないと値段が下がるってのはわからないでもないですけど、あんなボタン、年取ったら見えんわ。

ちなみにTVとか、BDとか、PCとか、そういうのはちょっと前ウン十万したものが機能は良くて4~5万ですよ?

あぁ、今後も普通に地味に生活したいカツカツ生活者には厳しい世の中だのぉ。。くすん。

触受:「境界の町で」

あー、久しぶりに「むさぼり読む」という快感を得た。
岡映里さんの「境界の町で」。

きっかけはなぜか新聞のオススメ本。
あんまり普段そいうの見ないのに。

ふと気になって、ちょっと時間を得て、やっぱり読んだ。

この方(岡映里さん)、超、正直者よね。
自分をごまかせない人。
福島に行った動機も「初めは興味本位だった」って。
スクープほしかった、たとえば9・11とか、あぁいう場所になんで自分はいなかったのか。
それが福島だと日本語も通じるし、手に入りそうだったからって。

でも、その正直さ、自分の気持ちをごまかせない彼女だから、たとえばそれは
彼女の経験した一部の福島だとしても、そこに事実があるとわかる。
私小説のようなノンフィクション。
自分をさらけ出さないと人のことも書けない。
そこには福島で生きてる人の日常があって、なんだかほっとした。
画一化されていない福島があって初めて実感できる。

そして福島であって、自分の物語がそこにあった。

岡さんは、双極性障害(躁鬱症)になっていた。
でもそこから彼女は今は立ち直っている。
病気のことも全て包み隠さず、今でもブログで発信し続けている。

http://www.okimhome.com/about (←今のブログ)
http://erioka.blogspot.jp/  (←前のブログ)

私はこのブログ、タダで読めるの本当にもったいない気がしている。
彼女の正直さにほっとする。
そういう読者も多く居ると思う。

「境界の町で」。 もし心が疲れたら読んでみてください。

DSC02397.jpg

Automatic に酔いしれた理由(わけ)

最近ハイレゾって耳にするよね。
ハイレゾってさ、何なんだかと思うと写真で言えば高画質みたいなものでデジタルデータを従来よりも多くしてなるべくアナログに近付けるってことなんだよね。

私がこれを聞いた時思い出したのは「宇多田ヒカル」の歌。

歌というより彼女の声。

衝撃だったのはいつも聴いてる「CD」では彼女の音域すべてを出せてない、ってこと。
彼女の声が心地いいのはその「聞こえない領域」を人が感じているからと。

具体的に言うと、CDは16bitで44kHz(16bitは2の16乗個=65,536個)に分解して記録して、小さい音はノイズとして処理されるようだ。
でもハイレゾ(ハイレゾリューション)は24bitで96kHzになってて、ピックアップするデータ数とその領域を増やしてるんだとか。

サンプリング周波数と量子化ビット数の数字が大きければ大きいほど、スタジオの原曲に近い高音質でCDでは再生できない空気感・臨場感まで表現する事ができるようになるらしく、本当は宇多田ヒカルの歌はこれでクリアに再生できるはずみたいだけど、実はそう簡単にはいってないみたいだ。
それに比べると昔のレコードはアナログに近く人間に聴こえない音まで発生させているからいい音に聞こえるらしい。今でもファンが切れないのはそういう理由からなんだと思う。

更にいうと、人が心地よいと感じる事象には1/fゆらぎがあり、それはピンクノイズとも呼ばれ、自然現象においてしばしば見ることができる。具体例として人の心拍の間隔や、ろうそくの炎の揺れ方、電車の揺れ、小川のせせらぐ音、目の動き方、木漏れ日、物性的には金属の抵抗、ネットワーク情報流、蛍の光り方など。
人にもそういう音域の音を出せる人がいて、MISIA、美空ひばり、宇多田ヒカル、松任谷由実、徳永英明、Lia、吉田美和などが持っているらしい。


で、久々にSONGSで宇多田ヒカルの歌を聴いた。

宇多田ヒカルは「SONGS」の中で異邦人である自分を語っている。
ニューヨークで生まれ育った彼女はNYでもどうみても東洋人、日本でも日本人にみられるのに、自己破壊を起こしそうな自らの内面。私はアメリカ人に近いんじゃないか、でも私はアメリカ人ではない。
大好きな母、でもいつか傷ついてしまいそうな母に心から甘え、わがままを言えたことがあったんだろうか。ずっと片思い。そんな彼女の中に「無機質な言葉とうらはらな燃えるような熱情」が口をついて出る。"It's automatic.."

井上陽水はインタビューのなかでこの曲を「うたえなかった」と正直に告白した。うたえると軽く思っていたのにうたえなかった。
そしてその歌詞に触れる。「automaticてさ、感情を表すような言葉なんだって発想、日本人では絶対出てこない。」母国語のように英語を習得してきた彼女だからこそ使えるフレーズ。自動的という硬質な言葉はそもそも機械などに使う言葉でしかないと思っていたのに。あのとき、日本全体が衝撃を受けたのだった。「こんな日本人が居る。」

一度長い休みを経てからの宇多田ヒカルは穏やかな凪の海のようなうたいっぷりだった。
それは若い日皆が衝撃を受けた音域の広さや天才的な1/fのゆらぎを持つ声に深みが出たような、安心して聴ける歌だった。


でもね、と思う。

私たちがなぜ宇多田ヒカルのAutomatic、First Love、といった数々の曲にあれだけ魅かれ、酔いしれたのか。
それは私たちが若き日の彼女の苦しみ、切なさと同調していたからじゃないのかと思う。彼女はいつも身近にいた。そして同時にその痛みを私たちは共有していた。


・・・・と、ここまで書いてからもう少し知りたくて沢木耕太郎の「流星ひとつ」を買って読んでみた。
ご存じのとおり、宇多田ヒカルの母は歌手の藤圭子だった。
その藤圭子の単独インタビューを没後沢木耕太郎が緊急出版した本だ。
そしてその後さらに私は、藤圭子の昔のLPを再生した音源なんかを探してずっと聴いていた。
読んだ方はわかると思うが、藤圭子は宇多田ヒカルよりずっとずっと惹きつけられる人間性の持ち主だとわかる。
(宇多田ヒカルが凄くないんじゃない、藤圭子が凄すぎる。)
こんな、哲学者みたいに頭がいい、人生の真理を見失わない人がいるのかとその強さを想う。
でもなくなっちゃったんだね。
彼女が生きてきた環境が壮絶すぎて、ほしかったものが手に入らなかったのかな。

沢木耕太郎はこの本を藤圭子の真実を知らないで育ったであろう宇多田ヒカルのために出版した。
そうでなくても貶められて終わる彼女の名誉のためだったのだろうと思う。
読者もきっと「宇多田ヒカルはどんな気持ちでこの本を読んだのだろう」と想像しただろう。
そして沢木耕太郎自身も。

新しく出たFantomeの中にその答えが沢山あったと思っている。
特に「桜流し」の冒頭のPV、焦点の合っていないようなシーンの中で、赤ちゃんがお母さんの乳房を吸っている。これは母となった宇多田ヒカル自身の心のシーンとも言えなくもないが、私は藤圭子がその母親から「お乳をあげるときにね、純ちゃん(藤圭子の本名)の横顔がとってもかわいかった。」と言ってくれたという本中の話からだと思う。
宇多田ヒカルが言っていた「カワイイ母だった。」という言葉。みんなには信じてもらえないかも知れないけど・・・そういうニュアンスだった気がしたのだが、きっと私はこの本を読んでヒカルはもう一度母と出逢い直したんじゃないかと思う。
そして自分が思っていたことを母も感じていた、そんな一致を沢山見つけたんじゃないかと。

だからまた戻る決心をした。そして母に歌を捧げたいと。また、自身もここで生きていく、

「歌いたい。」

私にはそう思えて仕方がなかった。

DSC02111.jpg

追記:

実は私は或る時期の藤圭子さんを見かけたことがある、どこでとは言えないが。
彼女は大きなサングラスをかけていて人と顔を合わせたくない拒絶したいという風にみえた。
ただ寂しげではあるのに、「彼女は芸能人じゃないかしら」と思わせるオーラがあったので気が付いた。

一つ・・・疑問がある。
藤圭子は自分の芯をきっちり持っていた。
あんなに強かった彼女は死なないんじゃないか、と思った。

ではなぜ?

実は私は沢木耕太郎が藤圭子に渡した「流星ひとつ」が鍵ではなかったかと思っている。
彼女はそれを宝物のように大切にしていて、よく人に見せていたという。
その原本はどこに行ってしまったのだろう?

光はそのことを知らない、知らなかった。
だから母は壊れていったと表現した。
いろいろなウワサはあるが、ただただ、あの原本がどこに行ったのか、誰も触れていない。

それが分かれば彼女の真実に近づけるのかもしれない。
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