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海をわたった野茂選手の話。

小学生のころ、巨人の篠塚選手のファンだった。巨人のファン、というか、テレビ中継では巨人VSの試合しかやっていなかったのではないだろうか。他のカードの試合を見たという覚えがあまりない。ましてはパリーグの試合なんて、結果だけではなかっただろうか。

さて、とにかく私は篠塚選手のファンだったのだが、なぜ彼かというと、守備がうまくてよくヒットを打っていたからだと思う。この私がその後イチロー選手のファンになるのは至極普通のことだろう。篠塚選手も大きな選手でなく、どちらかというとスリムで俊敏、というイメージなのだが、実際にあった篠塚選手は普通の大人の人よりずっと肩幅が広く、体格はよかった。また、篠塚選手も巨人に入るときはドラフト1位などの注目選手でなかったし、イチロー選手もそうであった。でもどちらも、「彼をとることが、チームによいことだ。」と見抜くスカウトの目によってそれぞれプロの道を進んだ。

最近、Youtubeでイチロー選手の高校時代の映像などがアップされているのを見ると、彼は3割とかじゃなくて、7割とか8割とか打っていた。1年から3年までのアベレージは5割強だったようだ。しかも、盗塁も1塁から2塁だけでなくて、2塁から3塁へ盗塁しているのだ。監督に言わせると、彼を塁に出すということは3塁打を打たれたのと同じだ、とのことだった。まさにオールマイティだ。

こんな私だが、野球選手としては好みに当てはまらなくても、その精神には大いに尊敬する選手が何人か居る。その一人が、昨日、引退というニュースをきいた野茂選手である。

イチロー選手が"Genious"なら野茂選手は"Hero"だと思う。
彼が大リーグを目指したころ、まだまだ日本人にとって米大リーグというのは、海の向こうの異世界で、大リーグの試合中継を日本で見るなんていうことはなかったと思う。それが、野茂選手の登場で急に広い大洋が狭くなった。ロサンゼルスという西海岸は、ちょっと望遠鏡で覗けば見えるんじゃない?そんなに親近感のある世界になったのだった。
日本人の誇り、と言ってもいいかもしれない。今、いろいろなTV番組の中で、野茂選手が渡米したころの大リーグの話題が流されている。1996年。米大リーグは選手のストライキ、人気の低迷などで経営が苦境に立たされていた。そんな時に東洋からその独特な投法から「トルネード」などと名づけられた寡黙なサムライがやってきた。当時のクリントン大統領は「アメリカを救った日本からの最高の輸出品」と褒め称えたという。
話は戻るけれど、1992年にニンテンドウがシアトルマリナーズを買収する、と発表したときは、ちょうどバブルの絶頂期で、「日本はアメリカ人の心まで買うのか!」とバッシングを受けたのを覚えている。
その4年後に「アメリカ人の心を救った輸出品」が野茂投手だったのだ。評判はよくも悪くもあるが、とにかく日本人は野球がすきなのだ。

野茂選手は大リーグでプレイすることにこだわり、多くのチームを渡り歩き、マイナー落ちしても、ずっと大リーグを目指していた。その峻烈な「ドクターK」の大リーグデビューからすると、いつも平坦でない山の谷や峰を越えて歩きながらのこの13年は、彼が言うように「悔いの残る」選手生活だったかも知れない。
でも、彼が居たから、ベースを作ってくれたから、イチローだってすんなり大リーグに行くことができたと思うし、他の選手だって、きっとそう思っているに違いない。

「メジャーリーグで活躍した初めての日本人」。もちろん奪三振の数やその他ノーヒットノーランといった偉業だって素晴らしいけれど、「海を渡る」と決意したその勇気と精神はいつの時代にもパイオニアとして、彼の成績に関係なくずっと残る記録だ。

"Hideo NOMO"- 英語表記すればわからないことだけど、当時の新聞の最後の言葉が思い出される。
「彼らにとって救世主(ヒーロー)であるこの日本人が実は「英雄」とかけば"HERO"だという意味の名だということを何人のアメリカ人が知っていることだろう。」

今、日本でこれだけ話題になっていて、誰もが関心を持っているのとと同じように、アメリカの野球ファンの人たちも、野茂の引退を惜しんでくれていればいいな、大リーグに特別の愛着をもってプレイした野茂選手のことを考えるとそう願う。

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母のこと。

先週日曜日。

初めて母を釣りに連れて行った。
さびきで「アジゴ」を釣るという目的だったが、いかんせん年寄りなので
トイレが近いだの、足元がよいだの、多分釣れるだろう場所だの、制約が
多かったのだが、地元でも海がきれいな場所に運よくつれていくことができた。

初めてするサビキつりに、自分がひっかかったり、人の仕掛けにひっかかったり、まるでマンガのようにリールに糸を絡ませたり、そのたびに一喜一憂していた。
釣れたアジゴあまりの小ささに、うれしいやら、残念がるやら。

photoshop.jpg


母は、子供みたいだ。最近そうなったのかと思っていたが、今考えると
私が小さいころから子供だったのだ。
なんでも喜んで、なんでも怒る。
何かを冷静に考える・・・なんていうのは、あんまり見たことない。
「客観的」なんていう言葉は母の辞書にない。
ある意味幸せな人生だ。

だから、私の子供へのしかり方も半端でなく、けちょんけちょんに怒る。
私へもそうだった。
この世に「自分くらいろくでもない人間はいない」のではないかと思わせるような怒り方だった。
で、後で(素直じゃなく、自分にしかわからないような態度で)謝る。
こんな母は愛情がないわけでなく、むしろ自分のことは二の次で人のために行動する人なのだが、ただ伝え方が下手なだけなのだ。

いつか落ち込んで、「もう母なんてどうでもいい」と何度も思った私をひきとめた唯一の言葉は、
「あんたを信用しとるけん。」
という言葉だった。あの一言があったから、ぐれなくてすんだんだな、と今も思う。不思議な魔法の言葉だった。

今、母は「あんたの子供は、あんたほど信用できん!」と言い切る。
それは母が年をとって、私のよいところしか覚えていないからだと思う。
子供みたいな母もやっぱり年月はそれなりに年寄りにしていくんだな、と感じる。
しかし口だけはいつまでも達者だ。
この口まで大人しくなってしまったら・・・それはもう母ではなくなるのかもしれない。

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