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「ありがたみ」その1

私は時々近くの神社へ行く。「一応」お参りに行くのだが、差し迫って何かをお願いに行くとかいうことは昨今しなくなり、どちらかというと、なんとなく「癒されに行く」というのが正しい。
神社はこの古墳の多い地区にまだ形を残す「鎮守の森」にあって、参道はうっそうと生い茂った広葉樹に囲まれて、夏であれば涼しいのだが、秋は午後となるとやがて来る落日をすぐに迎える。

さて、昨日も買い物に出かけるついでに神社へポテポテと歩きながらお参りに行くと、参道の入り口からずっと木の葉が無造作に落ちていて、まるで荒れ社のようであった。そういえばまだ夏休みの終わりごろに来たときも、そんな印象を受けたと思いつつ、105段とか何段とか、登るたびに段数が変わるなどといういわくつきの階段も落ち葉が折り重なるように有り、これはずいぶん年季が経った光景だと寂しい気分で上がっていった。階段の頂上まで登り、正殿が見えるところまできたものの、そこから先の参道もまた落ち葉で汚れていた。これを「風情」と取るか、「荒れ放題」と取るか難しいのだが、少なくとも私の目には「わび・さび」とは感じなかった。「侘び・さび」とは「野にあるように、心を尽くして手を入れた」美しさであり、決して無関心ではありえない。「手を入れたと見せないように、心を尽くす。」ことが本道だと思う。

さて、お参りを済ませたものの、やっぱり「ヒーリング」という気分には到底ならず、これは本殿前だけでも掃き清めようと箒を探したが見当たらず、もんもんとしながら帰宅した。
そういえば、母は夏に「神社の落ち葉を掃いた」と言っていたなと思い立ち、尋ねてみると、「本殿の下に箒がおいてある」とのこと。なるほどあそこにあったのか、と思い出していると、訳を知りたがる母に参道が荒れ放題だという話をした。
話終わった後に「まてよ?母は(早起きなのでいつも散歩に行くのだが)また、この話を聞いて、いてもたってもいられず(そういうおせっかいの人なので)明日にでも散歩ついでに参道の掃除に出かけてしまうのでないだろうか?」と心配になった。
あの長い参道をまた一人でブツブツ言いながら掃除をし、帰ってきては「ああ、疲れた」などと言う母の姿が容易に想像できて、これはまずい、と思った。
そう思うと、いいだしっぺの若い自分がなんにもしなくて、年の母が(いくら元気といっても)急な階段であの距離を掃除しだしてはたまらないと思い、私の中の神様が「どうせこの休日の午後、ネットサーフィンでもして目が悪くなるのなら、たまにはダイエットに掃除でもしてみろ。」と言っている気がして、これまたポツポツ出かけた。
持参した箒とちりとりで本殿前から掃き始めてすぐ、一人の男性が「こんにちは。」と声をかけてお参りしていった。(いつも来るのかな?こんな汚くてご利益があるとか思うのかな?)などと頭の中でぶつぶつ言いながらワシワシ掃いていった。一時間くらいすればできるかと思ったら、思ったより落ち葉が多く、また階段が急で長いため、結局2時間半もかかってしまった。秋のやぶ蚊と戦いながら「もうやめようかな~~」と思うと私の中の神様が「ここまでやったら全部しないと、変じゃない?」などとのたもうので、やめるにやめられず、夕方薄暗くなってしまった。これは、こんなところで「掃除おばさん通り魔殺人事件」などとなっても大変なので、一応一通り終わったところでへろへろになりながら帰っていった。
あとで母に聞くと、あの階段はどこかのおばあさんがいつもきれいに掃除をしていてくれたそうだ。ただそのおばあさんが身体を壊してから、息子さんがするようになったらしいのだけれど(こう聞くと田舎の風習で当番かなにかだったのかとも思うが)おばあさんのようにこまめに気に留めることもなくなったので、荒れているとのうわさだった。

今まで気にならないくらい、きれいにしてあったのは、そんな人のおかげだったと思いながら、もし、この神社が無くなったら、私にとっての「憩いの場所」もなくなるし、地域の人にとっても「春祭り」や「夏の夏越まつり」「秋祭り」に正月の「笙の音が流れてくる、年初めのお参り」も気軽にできなくなるわけだ。
そんなことを思いながらつくづく「ありがたみ」という言葉は現在に使うよりむしろ、日常では当たり前にあることが失われた時、そんな過去を懐かしむ事象へのエレジーなのかなぁ、、と思ったりした。

ところで、「母」がもし掃除に行っていたとしたらやっていたことを、代わりに全部私がしていることに今日気がついた。1.ブツブツいいながら掃除をする。2.ああ、疲れたとベッドに倒れこむ。追加で3.翌日腰が痛くてたまらない・・・。まぁ、いいだしっぺだし、帰ってきたらビールが美味しかったので、満足でしたけどね。或る意味「ヒーリング」な午後でした。

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所信表明演説って、盛り上がる!?

本日はアキバのアイドル「麻生ローゼン太郎」氏が、所信表明演説をしたらしい。
「したらしい」ということは、実は私は内容を知らない。ネットで「民主を激しく批判」とか「明るい日本」とかいうキーワードが並んでいるので、あぁ、そんなこと話したんだろうな、と、思うくらいであった。

ところが・・・ところがですよ?yahooの「みんなの感想」のコメント欄には、ご丁寧にも14時台後半という、サラリーマンはおろか、普通の人がそこまで見ていないと思われる時刻にこの所信表明演説を「すばらしい!!」とした書き込みが立て続けにされ、この夜のネット住民のゴールデンタイムは「今から」という時刻には、感想のページは炎上しクローズされていたわけです。最後に私が見たときには「やっぱり自民党」の賛成票はゆうに3千を超えていました・・・。(この数は通常ありえない)
これをサイバージャックといわずになんというのでしょうか・・・。政治はここまで来てしまったのですね・・・。

考えられること1:発足当時より予想を遥かに下回る支持率の自民党が、ここで情報操作をして、民意を操ろうとした(これが一番考えられそうだが、あまりにもクサイ芝居で、すぐにばれそうなことを果たしてするだろうか?という疑問は残る。)
考えられること2:「民主には任せられない!!」という票を民主自身が流すことによって、「自民はサイバージャックをして、インフォメーションコントロールをしようとしている!」という悪評を流す。(これも考えらえるが、果たしてわざわざ自分のところを酷く悪くいうことをするだろうか?とも思う。)
考えらえること3:一部のネットの住人がわざと炎上させるように仕向けた。

3を除くと、政治団体が民意を操ろうとしていることは確かなので、ここまで来ると国民軽視にも程があると思う。「民主主義」の国でしょ?どうしてヘンだと、政治家(或いはその周辺の関係者)は気がつかないのだろうか?日本が「単一民族国家」などと、今頃小学生でも知っている誤りを未だに口にする政治家が大臣だったのだから、もう、これは末期症状と言っても過言でないだろう。

結局私は「所信表明演説」を未だに聞いていないけれど、「不言実行」してくれれば、どんな演説をして「有言不実行」なんてしてくれなくてもいい。これが「民意」ですよ?(たぶん)。。総理大臣殿!


「あなたとは違うんです」2

ちょっと真面目に考えてみた。
この「あなたとは違うんです」発言の意味は
「私はあなたと違って、客観的に自分のおかれている状況を把握できてるんです。このままいけば私はなにもできない政治家で終わってしまうんです。再起をするためにも一旦ここで退場するのが、私の政治家としての生命は持たせることができるんです。」
とかなんとか・・・?
じゃ、「あなた」以外の人は、あなたが自分のことを考えている間に、どれだけ迷惑するわけですか?
と、こんなことを考えたりするんだったら、前途多難だからといって、辞任したりしないですよねぇ。

これに似た人の話を聞いたことあるなぁと思いました。最後の将軍の「徳川慶喜」です。慶喜は、部下が戦っている間、形勢不利で、「このままでは自分は悪者にされてしまう」と読むや否や、大阪城を捨ててこっそり一人だけ戦艦に乗り込んで江戸へ逃げ帰ってしまいます。
その後の大政奉還だって、悪者になりたくない一心で「はいはい」ということを聞き入れ、蟄居してしまうのですが、これをもし、今、彼がこの時代にいるとすればたぶん
「私はあなたとは違うんです。世の中の動きも、形勢も、自分の置かれている立場も客観的に見ることができるんです。」
などというのじゃないでしょうか。
彼は日本で一番初めに自転車に乗った人だときいたことがあります。自分が日本の将軍だったとか、そんなこと、彼にとってはあまり重要じゃなくて、むしろ自分の興味とか、保身とかのほうが大切だったんじゃないかと思ってしまいます。だって、そのころ、身分制度がなくなって、食べるに困る武士が沢山いたんですよ、それを考えれば、自転車なんてウキウキ乗ってる場合じゃないと思うんですけどね。

世の中には「してもらうこと」に慣れている人が大勢いますが、そのような人に限って、世の中を動かす立場に居て、「してやってる」と思っても、「してあげて、相手が喜ぶのが自分の喜び」なんて人はあんまりそんな地位に居ないんでしょうかね。
こんなに政治が低迷しているようでは、結局また「官僚」というシャドウキャビネットにいいようにされてしまうじゃないですか。或いは、いままでずーーっと、この「してもらうことに慣れた」人々は、ただ御輿の上に乗るだけで「乗っかってやってる」ってだけの人々だったんでしょうかね?

そろそろ「自分のこと」を客観的に考える人じゃなくて、「一つの国」としてのあり方を客観的に考えてくれる人は出てこないのだろうか・・・。

日本人って・・・・

いつもはなるべく真面目に文章を書くつもりでいた私もこの件に関して、少しおちゃらけたい。
なぜならあれだけ低迷していた福田内閣が、この最後の燃え尽きる瞬間に注目を浴びている。しかも、本筋の政治とはかけ離れたところで・・・・。
「あなたとは違うんです!」というのが今年の流行語大賞をとりそうな勢いなのを考えると、福田首相の無念さが伝わってくる。あれは別にこんな風に取り上げられようとされた発言ではなく、自分のプライド(?まぁ、そういうのはプライドとは言わないと思うけどね。こんなのがプライドだったら、「プライド」という言葉がかわいそうだ。)を最後に発した言葉だったのに、世の中で或る意味「ばかにされて」流行している。あぁ、哀れだ。
私自身は、福田首相は「とりあえず一年は、がまんしてやってみよう。」と思っていたのではないかと思う。「一年も経たずに辞任。」というのが後世まで残るし。タイミングを考えると引き際は今しかない、と思ったのかも知れない。或いは麻生さんが「いつになったらオレにやらせてくれるんだ。」などとこっそり耳打ちしたかもしれない。
本当に責任を感じて辞任するなら、今年の3月に山口の補選で惨敗して、支持率がこれとないくらい下がったときにやめているはずだ。そうでないのは「サミットやりたい」とか「オリンピック出たい」とか、なんかそんな「楽しくて、花形の仕事をやってからでないと、辞められないじゃんか!これだけ叩かれ続けたのに!」とでも思っていたのだろうかなどと考えてしまう。
しかし「公のこと」が「私の基準」で左右されるのは、あまりにも政治のレベルが下がったとしか思えない。幕末の志士たちが見たら、ちゃんちゃらおかしくて、話にもならないので「この場で切腹せぇ!」とでもいいかねないのではないか?
こんなでいいのか、日本人。(自分も含めて。)そう思いつつ、ここまで辞任の最後の言葉をコミカルにして乗り切ってしまおうとするところは、ほめてつかわしてもいいのかも知れない。

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