ボルティモアという町

古きよき、東海岸の田舎町であるボルティモアは秋の金色の光の中にあった。街路樹は黄色の切紙を散らしたような単色で、木漏れ日はやわらかく降り注ぐ。町のメインストリートは1本道で、ずっと海まで続いている。
「ちょっと一休み。」
ドアの開いたカフェの中に背の高いスツールを見つけて、指さす。
「そうだね、休みどきだね。」
そう言って、外とは対照的に暗い店内に入っていく。眼が慣れないから余計薄暗い。壁にかかった幾つもの絵は、まるで子供が描いたような絵ばかりだ。太い線、コントラストのはっきりした彩色。お腹がすいているのに、食べる気がしない。ブラックアイスティーを2つオーダーする。

そういえばお金は彼が払った。いくらしたのだろうかと、ふと思う。

「少し冷えたね。歩こうよ。」
「氷が多かったね。日本のようにキューブではないから、解けやすいんだね。」
外へ出て私たちはまた黄金色の光の中に入っていった。アムトラックを降りてからもう一時間も過ぎているのに、私たちはまだどんな史跡にも歴史的建物にもたどり着いていなかった。ただこの海岸へ続くまっすぐな道を、光の中を進んでいるだけだ。
「心地いいね、光がクッションみたい。」
「クッションだったら、お昼寝だ。」
そう言って笑った。

笑い顔が光に消え、私の前に蓼科高原の冴えた紅葉が飛び込んでくる。私はあの町には居なかった。ただ、握るハンドルの向こうに見える黄金色の景色が、呼び覚ました夢だった。過ぎていく並木はタイムマシンのように記憶を巻き戻していく。

「ねー、どうしたの?あぶないよ。」
助手席の子供が心配そうに見つめる。
「ごめんねー、ちょっとね、おひさまがクッションみたいだったから。」
「だから?」
「うん、ちょっとお昼寝したくなっちゃったんだよ。」
そう言って、笑った。

そう、ちょっと現実をシエスタしたくなっただけ。ほんの少しだけね。

(この文章は半分以上フィクションです。お間違えなく(笑))

モスクワ外伝

私がモスクワのホテルに到着した夜、部屋に1本の電話がかかってきた。
"Hello.."
ホテルでは英語が通じたし、ロシア語はほとんどわからなかったのでそうやって受話器をとった。きこえてきたのはロシアなまりの英語だった。誰?知らない。低い男性の声で「私はロシア人です、あなたは日本からのお客さんでしょ、僕は日本で勉強したいので日本のことを教えてくれませんか?」そんなことを言い出した。よく考えたらこれは内線の気がする。ということは、私が部屋にいることを知っていてかけてきたのかも知れないと思い、やんわりと断った。「ごめんなさい、私疲れているから。」そう言って電話を置いた。何しろソビエトなのだ。相手を怒らせるとどんなことになるかもわからないと思ったら、怖くなった。いったい誰なのだろう、ホテルの従業員なのだろうか。

「調子はどう?もう疲れはとれた?」名乗りもしない彼は優しげな声で翌日の夜にも電話してきた。「ごめんなさい、時差でもう眠いの。勘弁して。」そういって私はその日も電話を切った。そしてその次の日も彼は電話してきた。「もう、十分きみは眠ったでしょう?」「いいえ、私はまだ時差ぼけでどうも調子が狂っているの。」そういうと彼は、「そんなこと言って、君は明日帰ってしまうんじゃないの?ねぇ、僕は君を愛してるんだ。」

"No thank you!!"といってガリャリと乱暴に受話器を置いた。ばかにしてる。我慢に我慢を重ねてきた私は"I love you "という言葉を聞いて初めて彼は男娼だとわかった。外国人の男性の部屋には「ナターシャ」と呼ばれる娼婦からよく電話がかかってくるときいていたからだ。怒らせてしまったかもとちょっと不安にかられたけれど、彼からの電話は出発までなかった。

モスクワのことを思い出して、ついでに彼のことも思い出した。でも今考えると、彼は男娼ではなかったのかもしれないなどと、ふと思う。男娼であれば「ねぇ今晩僕と楽しく遊ばない?」などと言えばいいのだから。そう思うと本当に私を見かけたホテルの従業員か誰かが、遠い日本を夢見て電話してきたのだったのだろうかとさえ思えてきた。会ってもいないひとに"I love you"はないだろう、とは思うが、気の迷いということだってあるので、実は本当に友達になりたかっただけなのかも知れない。

ソビエトという、日本とはかけ離れた社会システムの中での、どうにも変えられないストーリー。
今はただ、昔のこと。”ダ スピダーニャ”。思い出は遠いモスクワの空の下に。


ときはながれる

20年ほど前、日本人として初めてTBSの秋山氏がロシアの宇宙船で宇宙へ行った日、私もまたモスクワにいた。

当時はまだソビエト連邦という共産主義国で、ちょうどゴルバチョフ書記長がペレストロイカを推進している最中であった。私のモスクワでの滞在先はベーデンハーという地下鉄の傍のコスモスという大きなホテルだった。ホテルの部屋からは目の前の大きなモニュメントが見えた。それは曲を描いて空につきささるロケットのようなもので、あたりいったいには緑が茂り、大きな公園となっていた。後で知ったのだが、そこは宇宙記念公園だった。夏には落ちない太陽が輝き、明け方の3時ごろにようやく薄暮につつまれる。ロケットのモニュメントは黒いオブジェとなり、夕焼けの空にコントラストを作る。それもつかの間また陽は昇った。白夜だった。
モスクワは全てが巨大だった。ホテルもだけれど、立ち並ぶアパートメントも地から生えるようにニョキニョキと建っていた。人もまた大柄な人ばかりで、私は巨人の国に迷い込んだか、あるいは自分が小人になってしまったような錯覚を感じた。
共産主義国のソビエトは、保障があるのでホームレスはいないと世界にアナウンスしていたが、実際には地下鉄近くの地下通路には多くの人があてもなく座っていた。物がない時代だった。ショッピングセンターのショーケースにはほとんど品物がなく、レストランに行っても1時間も2時間も待たされてようやく料理が出てきた。地下鉄は5カペイカ(日本円で5円くらい?)一枚を入り口に投入すれば、どこまでも乗ることができたが、ロンドンの地下鉄にも匹敵するような深い深いエスカレータを降りていった先に来た列車は帝政ロシア時代のもののような骨董品で、駅に停車するたびにただでさえ暗い車内の灯りは消えたりついたりを繰り返した。ペレストロイカが始まっていたとはいえ、街中でいつKGBに見られているかという不安はあったので、めだった行動をとることは控えていた。それでもジーンズをはいているだけで、ソビエトの人たちとは違ういでたちであり、彼らにとってはアメリカの服装をした西側の珍しい東洋人であることは否めなかった。国全体でアメリカ資本主義への傾倒がみられ、ルーブルはほとんど価値を持たなかった。観光地には白タクがいて、米ドルでの支払いを条件に客を拾っていた。白タクはホテル近くに来ると先にお金を受け取りまるで友達を乗せてきたかのように振舞って、去っていった。全て裏と表があった。
ホテルの部屋でチップを置く習慣はなかったが、掃除をしてくれたおばさんにはストッキングをあげたり、ボールペンをあげたりしていなければ、持ってきたものが少しずつ無くなっていく。日本では薄手の、足がきれいに見えるストッキングが上等とされるが、彼らがほしがるのは厚手で丈夫などちらかといえばタイツのようなストッキングだと言われた。だいたい私のサイズのものが大柄のロシアの女性にはけるかというと難しいようだったので、多分どこか闇市みたいなところで売り払われるのだろう。
そんな中だったのに、宇宙開発は先端を行っていたというのが今考えても不思議な気がする。

その後私は秋山氏と同じフライトで日本に戻った。日本ではお祭りのような騒ぎで、秋山氏はひっぱりだこだった。少しのちに毛利氏が本格的に宇宙飛行士として宇宙を体験した。宇宙にいつかはみんないけるのではなどと考えていたのではなかったろうか。

ほどなくして、ソビエト連邦は崩壊し、昔に戻ったようにロシアという国になった。もともと斜陽だった社会保障はまったく無くなり、日本としてもウラジオストックといった極東にカップラーメンなどの食料品を人道上の援助として行っていたが、それらのものを奪い合うようにしていた人々の映像は今でも目に焼きついている。

そして、9月18日の今日、日本のHTVは宇宙ステーションへのドッキングに成功した。かつて自前では行けずソビエトの宇宙船に乗って行った宇宙へ、今度は自前で行けるかもしれないという。日本では自民党の政治は終わり、新しいスタイルを目指そうとする民主党政権となった。社会保障をうたった国は資本主義へと歩み、そして今度日本は福祉国家を目指すという。

不思議なめぐり合わせと全てのものが留まることなくよくも悪くも変わっていくことに、この20年という年月の流れを感慨深く思われる。
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