臓器移植に思うこと

最近、脳死患者の臓器移植について、意思表示カードを持っていなくても、家族の意思で移植ができるようになった。「よかったじゃない?」と考える人も多いでしょう。提供者を待っている人は大勢いるだろうから。

幼い子が難病で、助かる方法は臓器移植しかないとします。お金があれば海外で移植するでしょう。お金がなくても募金などで何とか子供を助けたいと思うでしょう。その気持ちは人の親としてわかります。でも、私は私が脳死となっても、臓器は提供しないつもりです。もし子供が臓器を必要としていたら、人のを貰ってまで助けないでしょう。愛情がないわけではありません。もし自分が身代わりになれるなら、ためらわずになるとおもいます。

臓器提供を受けるのはほとんどが先進国の人です。いわゆるお金持ちの国の人。でもそうでない国の人は逆に生活のために臓器を売ったりしているのです。誰も自分の身体を売りたいなどとは思いません。でも家族のため、生きていくため、そういう選択をせざるを得ない人々がいます。
或いは、災害などで都市が大きく破壊されたり、国自体が助けられないことになったとき、子供をさらっていく人々が居ると言われています。保護するなどと言って、子供達をヤミで人身売買したりします。ある子供は奴隷のように使われるでしょう、ある子供は臓器提供させられるでしょう。もし、そんな他人の臓器を入れて助かるなどということができなければ、少なくとも生きていられる可能性もあるでしょう。そんな子供達も、自分の子供と同じだと考えれば、命が助かるからと臓器を待ち続けることは私はできないと思います。

そんな人々のことを考えるとき、健康や命がお金で買われている、と思うのです。あまりに切なくはないでしょうか?お金さえあれば、人の命を奪って自分の命を買えるのです。もちろん一般的に日本人がそのようにしているとは思いません(思いたくない)し、直接的にそのことを非難するのではないのですが、今後、もしかしてそのようなことが起こる可能性だけは出てきたのではないかと思いました。

医療が発達して、どこまで延命させればいいのか、などという話もされて久しいと思います。生きるということ、どこまでも長く生きることだけが人としての目標なんでしょうか?人の力には限りがあるのに、その限りを越えたいという欲望のまま、ずっとつっぱしっている気がしてなりません。

「今日をせいいっぱい満足して生きることができたら、もう、明日も明後日も生きたのと同じ。」

なんだか最近はそんなことが幸せなんじゃないかと思っています。


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