スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

直島・地中美術館あたりから。(下)

オーダーメイド・・それ以上に、ここは建物がなくては作品が成立しない美術館でもあります。ウォルター・デ・マリアはここに「タイム/タイムレス/ノー・タイム」を作品展示するとき、この空間自体を自分で決め、そしてそれを邪魔しない形で安藤忠雄氏が空間をつないでいったということです。ジェームズ・タレルの「オープン・フィールド」はまさに地中にあるからこそできた作品と言わざるを得ない気がします。これらの前衛的な芸術家は地中美術館をに作品を永久展示するにあたり建築家の氏と一緒に空間を作り上げて行ったとのことです。アナザースカイの中で氏は「情熱がなければ」という言葉を何度も使っていましたが、まさにアーティストとアーキテクトの情熱がぶつかり合い、爆発しあって、「1000年先を見据えた」美術館が完成したのだろうと思います。

そこに見えるもの、見えないもの、見据えたもの、目指したものを考えると、「地中回帰」というか、「人はどう存在すべきか」といった大きなテーマが感じられてなりませんでした。人生のすべてが燦燦とした照陽の中で極上の喜びを見出すわけではないことを、暗闇に差す光の暖かみに涙しながら生きている実感を、心に高らかに鐘の打ち鳴らされる、歓喜に震える瞬間を。

安藤忠雄氏の建築を体験して感じたことです。

NEC_1411.jpg

スポンサーサイト

直島・地中美術館あたりから。(中)

一般的に「美術館」といえば、ある季節に特別展として何らかの作品が持ち込まれ、そして、期間が終われば次の展覧会が行われる。季節を転じれば所蔵品が入れ替えられ、そして、また展示場所に絵が持ち込まれて、展示される。これはまるで絵画にとって、あるいは芸術作品にとっては仮衣を着ている状態とも言ってよいのかも知れない・・・この地中美術館を訪れてそう思うようになりました。

普段私たちが眼にしている作品は「プレタポルテ」を毎回着せられているのです。しかし、地中美術館の作品は全員が「オーダーメイド」の服を着ているのです。作品がどのように見えるか、すでにその時点で決まっているようなものです。地中美術館は福武総一郎氏がモネの睡蓮の大装飾画を購入したときに構想された・・・とありますが、「この画に一番ふさわしい装飾を」・・・つまりこの画の芸術的価値が一番すばらしく高められるように、美しく見えるように、そのために部屋を誂える。そういってよいでしょう。

DSCF1650.jpg


モネの部屋は印刷物などの画像で見るのとは別に、実際に入るとすべてが整えられていて、たとえば床には一つ一つ手作業で削られた小さなさいころ大の大理石が一面に敷き詰められていて、しかしそれらは画一化されておらず、一つ一つが違った色と表情を持ち、空間に「ぼかし」のような変化を与えて、モネの絵に温かみを与えているように思います。入室の際にはすべて履物を脱ぎ、やわらかい裏地のついたスリッパに履き替えて音を出さないように、床をすり減らさないようにしなければなりません。これはいうなれば美しくデコレートされたケーキを食べるときに最適なよく手入れされたナイフで美しくカットし、見た目も堪能しながら少しずつ味わう・・そんな心地に似ています。モネの絵はここでは寂しそうではありません。なぜなら冷たい人工的な光源でなく、強い日差しでなく、弱い光の中でも白くやわらかな空間が光を反射・増幅させて、いつまでもモネ独特の余韻を心に残していくようです。

直島・地中美術館あたりから。(上)

訳あって岡山に子供と旅行に行きました。

なんて書くと「なんだ?」と思いますが、ただ単に子供の「課題」を完成するために「有名な建築家の作品を見学する」必要があったのです。

地元でいえば、私も好きな「磯崎新」氏の北九州市立美術館があります、デスノートにも出てきた有名な建築物で愛着がありますが、今まで何度となく訪れており、またその機会もあるだろうから、これを機会に一度安藤忠雄氏の建築物を実際に見たかったのです。

安藤忠雄氏のことを興味を持って知ったのは昨年11月に放映されたTV番組の「アナザースカイ」。彼の原点というべき「世界放浪旅行」の話に感銘を受けました。若いある日、一人で世界を旅する。自分がどこに向かうのか?どこにたどり着こうとしているのか?そんなことはわからない中でただ勇気とやる気にあふれた、勇猛な一人の若者を思い、心が震えました。若さゆえに無茶をし、でも心はどこまでも高揚する、いつか私も感じたあの瞬間を思い出すからです。

「今の若者は現場を見ないね。」

彼の言葉には重みがあります。何度となく現場に足を運ぶ。図面からは見えない、空気や感触。いかに3Dでバーチャル表現できるようになったからといって、そこに行かなければ絶対にわからないことがある。場所と対話する、とでも言ったらいいのでしょうか?

そんな言葉を彷彿とさせるのが「直島」の「地中美術館」です。
私自身、旅から帰ってきてまだ、あの美術館とはなんだったのか?自分の感情を捉えきれていません。たぶん、場所が彼らを選び、建物を選び、そして調和していった・・・そんな感じがします。いくつもの異なる図形が異なる角度で絶妙に交じり合い、空間に物体や人を飲み込んでいく、そういう感じ。

フェリーで島を渡るとき、海岸線に見える島はどちらかというとアメリカの不毛地帯のようにごつごつとした岩肌で、赤くそして黄色い土が海辺にまで注いでいました。豊かとはいえない、鉱物的な山。この島の北側にはまさにそれにふさわしく「三菱マテリアル」の鉱物精製工場があり、大型タンカーが島にぶつかるように垂直に停泊していました。

DSCF1637.jpg



それらの低い山々は南側の港に着くころには丘陵へと変わり穏やかに木々をまとって、人と共生するに適度な環境となっていました。地中美術館は一般人が他力で行く一番遠くにあります。反対周りをしようと思えば、一時間以上徒歩で行かなくてはならないでしょう。そんな端にある美術館はパンフレットなどの資料でしか外からの遠景を見ることができません。そして内部は自分の眼で見るしか方法はないのです。心に留めておくか、あるいはパンフレットに挿入された画像から、自分のみた風景や印象全体をつなげるしかないのです。
プロフィール

Jeylynx

Author:Jeylynx
FC2ブログへようこそ!

最近の記事
ANA”旅感”
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
カテゴリー
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。