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アートマンとブラフマン

ある夜、寝る前に「時間って、アナログだよなぁ」と思ったり、「いや、デジタルもある」などと、当たり前のことをふと思った。

当たり前のことなんだけれども、現在と過去と未来っていうのは、途切れることなく続いている。その時間は一瞬でも一瞬よりも小さい時間でも、途切れることがない。この線で結べる時間はいわゆる「アナログ」なんだよな~と思ったりする。(それがアナログの定義だから当たり前なんだけど。)

たとえば私という材料をある条件を入れて、デジタルオシロスコープにかけるようにサンプリングすれば、そこには或る側面や或る期間における「私」が抽出されて出てくる。
たとえば寝ているときの私とか、仕事しているときの私とか、釣りにでかけているときの私とか・・・、それぞれの「私」は全然違う顔や考えをしている(或いは自分も知らない)かも知れないけれど、その一枚の写真を並べてみるとそれは「デジタル」で見た私であり、その一面だけを見ると「あぁ、この人はこんな人なんだ」などと思うかも知れないけれど、その写真と写真の間の私というのは、全く違った性質かも知れない。
写真の間隔を狭くして、波形のように全体を見ようとすれば、「私」というものに結論を付けて「ひとつの性格」にしてしまうことはできるけれど、ある一瞬の私というのは、逆に色あせて、「その瞬間突出した性格」は隠れてしまう。だから、何かの事象を理解しようとすればそれは「事実」ではあっても「アナログ」だけでも、「デジタル」だけでも不完全な理解しかできないんだろうな、と思った。

「デジタル」と「アナログ」という考え方はどちらも切り離すことができないし、どちらも正しいと思うと、どこかで似たような考え方に出会った気がして、「あぁ、これは”アートマン”と”ブラフマン”の考え方に似ているんだ」と、思い至った。今まで漠然と「アートマンとブラフマン」は、そのようなものなんだ、という抽象的にしか解らなかったものが「デジタルとアナログ」という関係を考えるにあたって、より体感的に理解できた気がした。そして「アートマンとブラフマン」は気がつかないだけで、この世界に溢れている考え方なんだ、と実感した。
それは「ミクロとマクロ」であり「アートマンとブラフマン」であり「デジタルとアナログ」なんだー。
「アートマンとブラフマン」を知りえないと、「デジタルとアナログ」もそのように考えられなかったと思えば、「一方が存在すれば、他方も存在する。一方が滅すれば他方も滅する」という「縁起」の考え方にも通じるものがある。
しかし、デジタルを知り、アナログを知る。それで「私」という人間を理解できるのか?という疑問は湧いて来て、これ以上考え出すと出家でもしてしまわないといけなくなりそうなので、寝ることにした。

私の中のアートマンとブラフマンは、夢の中で答えを教えてくれるのだろうか・・・。


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