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茶の湯と宗教

裏千家茶道(チャドウと言う)を習い始めて一年が経つ。以前(ずいぶん前)に短期間習っていたが、この年になってまた始める機会があり、うれしいところだ。現在は「運び薄茶手前」という作法を習っているところだが、毎回毎回作法を忘れて、私の頭はどうなっているのだろうかと思うことひとしきり・・・。

ところで、先々週に「茶道は宗教性と芸術性の二つがあって初めて成り立ちます。」と先生から教えていただき、漠然と思っていたことだが「やっぱり宗教の側面を持っているのだ」と改めて知った。
特に裏千家茶道では「一碗からピースフルネス」という言葉で学校教育への茶道の取り組み、国際社会での茶道の普及活動とその域は広い。また、お教室の終い(もしくは初め)に合掌し、「ことば」を唱える。

「ことば」
私たちは茶道(ちゃどう)の真の相(すがた)を学び、それを実践にうつして、たえず己の心をかえりみて、一碗を手にしては多くの恩愛に感謝をささげ、お互いに人々によって生かされていることを知る茶道のよさをみんなに伝えるよう努力しましょう。

一、 他人をあなどることなく、いつも思いやりが先にたつように

一、 家元は親、同門は兄弟で、共に一体であるから誰にあっても合掌する心を忘れぬように

一、 道を修めなお励みつつも、初心を忘れぬように

一、 豊かな心で、人々に交わり世の中が明るく暮らせるように


茶道というと「たしなみ」や「日本の芸術性の象徴」のように考えられるが、それは「哲学」のようにどこまで行っても辿り着かない道の一つなのだ。たとえ一つのお点前を覚えたとしても、それは変幻自在であり、これでできた、最高だ、ということはない。なぜならお点前の一つ一つは一度限りのものであり、それは季節を、人を、空気を、生きた時間をその場で作っていく亭主とお客様の共同作業であるからだ。

これだけ考えてもどこまでも宗教であり、どこまでも哲学だ。そしてそれを彩るひとつひとつは日本文化の精神に基づいた深い芸術性が背景にある。

茶道・・・習うより慣れろの言葉どおり、作法が身体と心に染み付いたころに、ようやくスタート地点が見えてくるのかもしれない。

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