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ありがたみ2

私はちいさいころ、ひいばあちゃんっ子だった。
珍しいことにばあちゃんじゃなくて、ひいばあちゃん。ばあちゃんは怖かった。母にも父にもいつも怒られてばかり。だから、私が田舎を訪ねていくと「おぉ、ジョン(お嬢さんの意)、よくきたのぉ。」といって無条件に可愛がってくれるひいばあちゃんが大好きだった。ひいばあちゃんはいつもこっそりとチャイナマーブルという硬い砂糖菓子をくれた。だから、チャイナマーブルを見るとひいばあちゃんを思い出す。

ひいばあちゃんは私が小学3年生の時、97歳で亡くなった。人が死ぬということを初めて間近で知ったのもひいばあちゃんの時だった。当日の事をよく覚えている。春の日差しが心地よい日だったのに、家の中は薄暗く、棺に入ったひいばあちゃんは生きているときと同じように、年季の入った皺だらけだった。その深い皺はいつものようにてかてかと光っていたけれど、いつもは無い紅が口元に差してあって、不自然に感じた。誰もが泣いてはいなかったけれど、棺が運ばれて行ってしまう時に私は思わず棺を追いかけながら泣いたのだった。
大好きなひいばあちゃんはこうして私の前からいなくなってしまって、私は取り残された気持ちばかりが大きくあって、ただ悲しいばかりだった。

あれから30年経つ。
今年、本当はお墓参りに行くつもりはなかったのだけれど、なぜか「ひいばあちゃんに会いにいかなきゃ。」という気分になり、田舎に帰った。声には出さない心の声で「ひいばあちゃん、会いにきたよ。」とつぶやくと、なんだかひいばあちゃんが喜んでいる気がした。
魂という概念は、宗教上のもので、実在しないのかも知れない。でも、なぜかいつも私が苦しくなると、どこかでひいばあちゃんが今でも私の顔を見てにこにこ笑っている気がして、ほっとする。そうすると、いつも気分が解放されて、またがんばってみようかな、という気になる。
生きていたとき、死ぬということをおしえてくれて、魂となってなお、生きるということを教えてくれるひいばあちゃん。私はそんなひいばあちゃんに会えて、ひいばあちゃんのひい孫でよかった。いつも心の傍に寄り添ってくれているひいばあちゃんに、いつものように心の中でつぶやいてみる。

「ひいばあちゃん、ありがとう。」

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                        夏の東椎屋の滝

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