スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ホテルカリフォルニアの思い出

中学生の頃かな。

イーグルスのホテルカリフォルニアが手に入れたばかりの小型ラジオから流れてきたのは。
確か学研かなにかのおまけの小型ラジオだった。うれしくて毎晩聴きながら寝てた。

そういうわけで私が初めて買ったSPレコードはホテルカリフォルニアだったと思う。

胸が苦しくなるようなサウンド。洋楽で感動したのはそれが初めてだった。
歌詞の意味なんてわからない。砂漠がなんとかって言ってる。ホテルカリフォルニアがどうやら
いいところだって。なんだか物悲しいメロディーに変わって、もしかしてこれが青春なんだろうか?
(当時はそんな言葉は思わず、たぶんフィーリングでそう感じたんだと思うけど。)

ふとしたことでまたこの曲を聴くことになった。 そしてその歌詞の意味が前より少し理解できた。
でもつながらないところをネットで裏事情みたいなのを補足して、なんとなく全体が見えてきたので
日本語でもなるべく不自然じゃないようにかなり手を入れて訳してみた。(間違ってたらごめんなさいよ。)

たぶん・・・・これは回顧しながらの詩じゃないだろうかと思った。
だから歌詞にないセンテンスも付け足している。 

箸にも棒にもかからずどうしても理解できないのが "face"の使い方。face は「顔」だけでなく「正面」とかそういう名詞の意味だけど、
動詞だと「向かい合う」とか「直面する」とかいう意味だけど、ここではどう考えても名詞として使っている。。
だからわからない。 これが何かのスラングなら教えていただきたいくらい・・。
だからそこは本当にテキトオに書いてしまった(^_^;)

青春のひととき、もしあなたが堕落という罠に落ちたら
・・・それは一生見えない檻の中に居るということのかもしれない。

========


(昔話をしようか・・・)

On a dark desert highway,
暗くなってきた高速道路で

Cool wind in my hair,
涼しい風がオレの髪をすりぬける

Warm smell of “colitas”
麻薬植物の蕾 コリタスのむせかえるような匂いが

Rising up through the air,
空気中に立ち上ってくる

Up ahead in the distance
ちょうど前方のその先に

I saw a shimmering light,
微かな光が視界に入る

My head grew heavy and my sight grew dim,
コリタスの香りに 頭も重くなってきたし眼もかすんできたので

I had to stop for the night.
オレはどこかで夜を過ごさなくてはならなかった

There she stood in the doorway,
オンナが一人ドアのそばに立っている

I heard the mission bell
そしてオレは礼拝の鐘の音を聴いた

And I was thinkin’ to myself :
ちょっと心の中で思ったのは

“This could be heaven and this could be hell”
ここが天国じゃなければ地獄じゃないのかってこと

Then she lit up a candle,
オンナはキャンドルをかかげて

And she showed me the way,
オレに行く手を見せた

There were voices down the corridor,
ヒソヒソと囁くような声が階下でして

I thought I heard them say
オレはヤツらが言ってることがこう聞こえた気がした

Welcome to the Hotel California,
ようこそホテルカリフォルニアへ

Such a lovely place,
ここは素晴らしい場所なんだ

(Such a lovely place)
本当に素敵さ

Such a lovely face
なんて愛くるしい

Plenty of room at the Hotel California,
ここには部屋が沢山あって

Any time of year,
そうさどんな時でも

(Any time of year)
いつも部屋は用意されてる


You can find it here
キミはいつでも来れるさ

Her mind is Tiffany-twisted,
オンナはティファニーのような 光る個性的な考えの持ち主で

She got the Mercedes Bends,
高級なメルセデスのようなしなやかさを備え

She got a lot of pretty, pretty boys
たくさんの若くて美しい男たちを従えていた

she calls friends
オンナはそいつらを友だちと呼んでいたけどね


How they dance in the courtyard,
中庭でどんなふうにヤツらが踊っていたかって

Sweet summer sweat
べたつくような暑い夏の夜に

Some dance to remember,
ある者は何かを思い出すように

Some dance to forget
ある者は何かを忘れ去るように


So I called up the Captain
オレは給仕長を呼んで

“Please bring me my wine”
オレにワインをくれないかと頼む

He said, “We haven’t had that spirit here
彼は言ったね「ここにはスピリットがないんですよ

Since nineteen sixty-nine”
1969年からあとのは」


And still those voices are calling from far away,
今でも遠くで呼んでる声がするけど

Wake you up in the middle of the night
真夜中にお前を起こしに来て

Just to hear them say:
ちょうどこう言ってるように聞こえるだろうよ

Welcome to the Hotel California,
ようこそホテルカリフォルニアへ

Such a lovely place,
素晴らしい場所でしょ

(Such a lovely place)
ほんとうに素敵

Such a lovely face
なんて素敵なめぐりあわせ

They’re livin’ it up at the Hotel California,
彼らは一生をここで過ごすんだよ

What a nice surprise,
なんていううれしい驚き

(What a nice surprise)
ほんとうに素敵な

Bring your alibis
だからキミも不在証明を持って来て私達に加わりなよ


Mirrors on the ceiling,
天井にかかる鏡と

The pink champagne on ice, and she said:
氷で冷えた高級なロゼシャンパン前に オンナは言う

“We are all just prisoners here,
「私達はみんなここでは囚われの身なのよ

Of our own device”
それも自分で作り上げた檻の中のね」

And in the master’s chambers
そして主賓室のなかで

They gathered for the feast,
ヤツらは晩餐を求めて寄り集まった

They stabbed it with their steely knives,
尖ったナイフの先で贄を突き刺したけど

But they just can’t kill the beast
ヤツらは生贄を殺すことができなかったんだ!


Last thing I remember, I was running for the door,
ヤバイと感じてドアに駈け出しながらオレが思い出す唯一の事と言ったら

I had to find the passage back to the place I was before,
元居た場所への小径を見つけなきゃということだけ

“Relax,” said the night man, “We are programmed to receive,
「落ち着け」と夜警が言う 「ここではキミも私もそうするようになってるんだ つまり

You can check out anytime you like… but you can never leave”
キミはいつでも人生を離脱できるけどね ここを二度とは離れられないんだよ」


(なんてこった!!)

取り残された記事・想い。

旅日記終了。

名称未設定 2


今年に入ってから私が受け取ったメール。
ほとんど利用者がいなかったのか、あるいは収益とならなかったのか?
面倒だったのでブログに統一したかったのかも?

でもですね、これは私のとって大きな出来事でした。

ある人の旅日記が見れなくなるということですから。

何度かコメントのやりとりをさせていただいた縁でしかありませんでしたが
この方の旅日記はもうそれ自体がもう少し手を入れれば出版物としてのストーリーになる。
そんな旅日記でした。
彼は・・・そう、彼はその語り口からみてプロの映像を撮る人だったと思います。
その彼が私的に過ごした日々を書いたのが「旅日記」だったということです。

ワクワクさせたり、寂しくさせたり。

彼の旅の中でその写真は私の中のその国への思いを募らせるものでした。
生きている限り、一度は訪れたい国。
その国を楽しむ彼の旅の日々は私が見たいその国での旅を切り取ったようでした。
疑似体験とでもいうのでしょうか。

その方が旅日記をどうされるのか、ご自分のブログを立ち上げて移されるのか?
私にはわかりません。そう、もう何年もの間ご本人のコメントは入れられていませんでした。

私はその旅日記が見られなくなる前にそれらを保存しました。
更新されることのないその旅日記を、これからは私がそのページを開いて記憶を呼び起こすのみでしょう。

私がここに記事を残す意味。

それは彼がまた新たなストーリーを紡ぐとき、もしその写真が目に留まるなら。
私もまたこっそり自分だけ開くページでなく、公の場所で新たな思いと出会うかもしれません。

その時まで、その日まで。私がじっと大事に持っています。
一枚だけ彼の撮った写真を断りなく掲載しておきます。いつか、気が付いてクレームを入れてくれる日が来ますように。

いつかの偶然を待たせるような・・・そんな素敵な旅日記だったのです。

2920480.jpg

染井吉野は花魁のうつくしさ

春爛漫。

そんな言葉がまさにぴったりな季節ですね。白いモクレン、黄色い菜の花。

その中でもやはり桜は何にも代えがたい存在ですね。

今や「花見」といえば桜ですが、ずっと昔は「梅の花」を見るのが一般的だったようですね。
でもいつの間にか日本人の持つ「はかなさ」への憧憬が桜の美しさへひきつけられていったのでしょう。

DSC00209-1.jpg


かくいう私も川岸で桜の樹によりかかって、風に揺れる桜並木を見ながら花見酒をしていました。

ソメイヨシノは実を付けない。鳥に蜜を与えても、自らの生殖には寄与しない。
風に花びらを乗せてもなにもならない。

ソメイヨシノは江戸時代に日本人が美しさを求めて作り出した人工の花。
どこかの国が「うちが起源」と言っても、増えるのはただ接ぎ木によって人の手で増えるだけ。
日本中のすべてのソメイヨシノがクローンの桜。
だから、シンクロしたような美しさなのかも。

ソメイヨシノが種を継続させるには、人が植えて増やすしかない。
だから・・人間に愛してもらわなければ絶えてしまう。

そう考えるとソメイヨシノのひとひら、ひとひらの花びらが
「ね、わたし、綺麗でしょ。見て見て。きれいでしょ。」
と一生懸命に訴えかけてる気がして、哀しくなってきた。

人に健気に仕える、人によって創られた染井吉野。まるで花魁のような妖艶さを持つ花。

「きれいだよ、ほんとうに、きれいだよ。」

私は樹をそっとさすりながら、気が付くと無意識にも涙を流していた。

続・沖縄ディズニーリゾート計画

ちょうど6年前の本日。私は以下の記事をUPしました。

「沖縄ディズニーランド計画」

http://jeylinx.blog52.fc2.com/blog-entry-54.html

おぉ~。なんとなく現実味を帯びてきましたね!私の案はさらに経済特区扱いとしてましたケド。

宜野湾市の市長が政府にこの計画の後押しをお願いしたとか、これが来年の市長選への口だけパフォーマンスだとかなんとか、辺野古あたりの問題とからんでいろいろ言われてますが・・。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/20151209-OYT1T50006.html

で、どうなの?イヤなの?うちなんちゅうの皆様。
いや、そんなことないでしょう~。ディズニーが来てくれたら、いいことだらけど思うのは私だけ?

さらに今回、私はもう少し先の計画も。

「那覇空港から宜野湾・本部まで鉄道を走らせましょう~。しかもそれは普通の鉄道じゃないですよ?”Disney Express"ですよ?」

飛行機もね~、飛んでるじゃないですか?だったら那覇空港駅のプラットホームから特急専用にしてしまえばいいじゃないですか。そしたらですよ?ディズニーファンだけじゃなくて、鉄道ファンも絶対きますよw いや、まつがいない!!

これは、前知事の仲井眞さんが「沖縄に鉄道を、南部と北部は基地があることもあって中部辺りでひどい交通渋滞になっている」という話を青山繁晴さん(知らない人はググってみてください)に伝え、青山さんが安倍さんに伝え、その調査費なるものも計上していた話からヒントを得ました。
また、仲井眞さんは「沖縄は今は日本のお荷物になっているかもしれないけど(たぶん財政的なことで自立していないという意味で)、沖縄はもっと日本に貢献できるはず、と言ったニュアンスのことを言われてました。私は実はこの言葉をとても感動して聴いたのを覚えています。沖縄のプライドとでも言うのでしょうか。だからこそ、沖縄には世界がうらやむような島になってほしい、と思っています。

基地とディズニー。

不釣り合いに見えるかも知れませんが、逆に基地の町が楽しい平和なテーマパークに隣接することにより、犯罪しにくい雰囲気づくりもできるんじゃないかと思うんです。ハッピーな気分な時に人は犯罪を起こそうとか思わないでしょ。
また、本当に中国が沖縄を武力で制圧しようとして攻撃したら、ここに世界のアイドルが居る国があれば世界全体から非難されますからね。

初めて(といっても一度しか行ったことないけど)沖縄に行ったとき、本部の海を見ながら「ここが日本で幸せだな。」と思ったものです。そして「また来たいな~。」と心から思いました。鉄道があればここまで来るのも車なしで容易に来れるでしょう。そして私の好きなグスクもゆっくり見て周れることでしょう。

ディズニー特急。

ぜひ"Dreams come true !" 沖縄のプライドのために!

【触受】わたしを離さないで -NEVER LET ME GO-

新聞記事で見かけた言葉が気になって或る本を読んでみたくなった。
「英国でカズオイシグロは村上春樹よりノーベル文学賞に近い作家である。」

村上春樹には全く関心がなく、1Q84を読むまで一度も触れたことさえなかった。1Q84を読んで「嫌い」になった。彼の中ではこれはオウム事件に対する一つの答えだと言ってたが、上から目線で児童ポルノまがいの内容に辟易としたというところ。

春樹の悪口はそのくらいにしておこうか。

カズオイシグロ、とても興味深い人だと思った。5歳まで長崎で育ちその後家族と渡英、ヒッピーなどもやってようやく日本という彼の記憶の中の祖国にやってきたらしい。
作品の多くが非常に好評価を受けているらしいが、とりあえず私はこの新聞記事にある「わたしを離さないで」を読んでみた。ここから先はネタバレするのでそれでよろしければ拙文を読み進めていただきたいと思う。

実は私はこれを読んでさらに先日映画もDVDで観た。映画の方が内容が分かりやすいかも知れない。そして、登場人物となる俳優の美しさにまた涙を誘われるかも知れない。
いずれにしろこれを評して我が娘は「救いのない世界」と言った。そう感じた方も多いと思う。

映画ではいきなりこれからの結末を暗示させる言葉が出てくる「人間は技術革新によって100歳を超えて生きるようになった。」。技術革新とは何か?それはこの物語の主人公たちの存在である。この主人公たちはクローンで作り出されたモノであって、人間ではないと認知されている。家畜がいつか大人になって狩られるように、このクローンたちも大人になったら「ポシブル」と言われるクローンの主たちに臓器を一つずつ摘出され、あるものは初めの「提供」で「コンプリート」し、あるものは3回の提供にも生き抜くと家畜同様食べられない箇所を捨てるかのごとくそのまま放置され苦しみの中で「完了」するというなんとも惨い世界なのだった。

その中で「彼らも生物なのです。」と言う人権活動家のような人たちが作ったのが「ヘールシャム」というクローンの学校で、クローンたちは通常は粗末な扱いしか受けないけれどこの高級保護施設であるヘールシャムだけはまるで人間たちのようにきちんと扱いを受ける。ここにいる3人の子供たちがこの物語の主役なのだけれど、語り部となるのはキャシー・Hという女の子。映画で彼女はこの2人の友人を看取ってから最後に自分も提供者となる。

ヘールシャム出身の彼らは普通の子供たちのように子供期、少年期、青年期を過ごす。決められているのはヘールシャムを出てはいけないこと、心と体を健康に保つこと。
彼らは自分の運命なんて知らない。外の世界がどうなっているか、「保護官」と呼ばれる人の教えによって世の中の事を知っていく。いつか保護官の一人が「あなたたちの運命は決まっているのです。」と言ってしまう。でも、彼らが本当に運命を自覚するのはその一瞬のことでなく、徐々に、時間をかけて、あらゆることの記憶のピースがいつかあるべきところに収まることによって「あぁ私は生きているけれど自分のオリジナルに臓器を提供して一生を終るんだ。しかも近い未来に。」と知るのだと、これはイシグロも「記憶」の仕組みをそのように理解していたようだったし、私もそれに同感する。
たとえば「私はあなたのおかあさんじゃないのよ。」と言われても何がなんだかわからないが、その前兆となる不可解な現象の欠片が心や脳の一部に残ってそれがつぎあわさって「あぁ、そういうことだったんだ。」と理解するに至るのだと思う。

この物語には理由が明らかにされないことがいくつかある。
それを私はずっと考えていて、そして最後に「もしかしてカズオイシグロはこのことを言いたかったかもしれない。」という自分なりの解を得た。

彼らの青春を通じて、人は決められた命の長さをどう生きればいいのか、考えさせられる。彼らは家畜のごとく扱いを受けるかわいそうなひとたちだ。そう締めくくれば救いがない。

不可解な事の一つに「私達のポシブルは麻薬中毒者か売春婦か、犯罪者も居るかもしれない。ろくでもない吹き溜まりの人間。」と出てくる箇所がある。普通に考えればクローンの彼らを養い、無事に臓器を育てるまでのことがそのような社会の底辺の人間ができるのだろうか?と考える。クローンの彼ら自身が「せめて自分のポシブルが素敵なオフィスで働く人であったらいいのに。(そうすれば自分の中のプライドも保たれるのに。)」と思う場面が出てくる。まさに救いといえばそれだけが臓器提供のために活かされているかれらの存在意義だ。
しかし彼らの創造主は違う。
なぜイシグロはそのような無理な設定にしたのか。

話を主人公の3人に戻してみる。語り部のキャシー・H、その友達のルース、そして癇癪持ちの男の子のトミー。
トミーは癇癪持ちということもあっていじめられっ子だった。彼はクラスのワンノブゼムであり、特にキャシーやルースと仲が良いということではなかった。でも、キャシーの中の何かがトミーに興味を持たせ、トミーを変え、キャシーと仲良くなっていく。ルースはそれを見てきっとイライラが止まらなかったのだと思う。本当はそんなに好きでもない子でも自分のものにしたい、友達より優位に立ちたい。自分の中の劣等感を押しやりたい。

思春期にはありがちな事であり、それが永く続かないというのも分かっていたことだけれども、ルースはキャシーと居る間はずっとトミーとの関係を見せびらかすようにしていた。そしてキャシーが二人から去った後、存在意義を失くした二人の関係は消滅した。
普通の人間世界ならそれもありだった。でも、彼らに残された時間はあまりに少なかった。キャシーと再会したルースは「ごめんね」という。「本当は二人が愛し合っていたというのはわかってた、それをつぶしたのは自分だ。置いて行かれたくなかった。」と。そしてせめてもの償いに二人の生を少しでも伸ばしてほしい、自分はその方法を手に入れたと。

結局その願いは叶えられなかった。彼らの、愛する人と少しでも長く生きたい、その時間を取り戻したいという願いは虚しく消えた。
それでも、それでも、と思う。短い時間だったけれど二人は本当に愛し合っていることを確認し、最後にキャシーは映画の中ではトミーの最後を看取った。トミーは「わかってるよ。」と言いたげに手術台で微笑んでから眼を閉じた。

こうして彼らの臓器を得て生き長らえる人々。でもね、彼らは「麻薬中毒者」であり「売春婦」でありつづけなければならない。通常の人の寿命を超えた長い間。その「技術革新によって得た寿命」の間、あなた方は幸せなんでしょうか。私が得た解はまさにそのようなことでした。比べてみれば、たとえ命の長さが決まっていたとしても誰かを愛し、お互いの存在を大切に思い、助け合って生きた人生がある方が命としては正しい幸せの形だと思いました。

原作の中でキャシーは「私の記憶の中にヘールシャムがある、それはトミーとルースと同じだ。」といったことをいう箇所があります。心に刻まれた記憶。誰にも奪われない宝物。生の終わるその最後の瞬間までキャシーはその宝物のことを思いながら「完了」するのでしょう。

最後に。
私もこの物語の世界は「救いがない」と思います。それは生きている意味と時間の大切さを知らない世界がはびこっていると感じたからです。

NEC_3047.jpg

プロフィール

Jeylynx

Author:Jeylynx
FC2ブログへようこそ!

最近の記事
ANA”旅感”
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
カテゴリー
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。